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中村彝アトリエ記念館 [日記]

 新宿区の落合は昔、文化村として開発され、画家や作家が住み着いていたそうです。以前、佐伯祐三のアトリエ跡を訪ねたことがあるのですが、今日は中村彝(なかむらつね)のアトリエ記念館を訪れました。

 自宅から神田川に沿って北上し、高田馬場の手前で目白通りを横断し、おとめ山公園の裏手に中村彝のアトリエ記念館はあります。少々(かなり?)わかりにくいので、スマホの地図を頼りに行くのがいいと思います。スマホのない自分はポケット地図を頼りに行きましたが、住宅街の細路地にあってポケット地図ではわかりにくく、地元の人に聞いてやっと辿り着きました(笑)。


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中村彝アトリエ記念館。

 
 
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勝手に横浜の洋館くらいの大きさを想像していたのですが、
ずっとコンパクトな建物でした。
アトリエ兼自宅ですからね。

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建築当初の建物を復元? 再現? したものだそうです。
家具やイーゼルもレプリカだとか。

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レプリカだとしても随分と年季の入った家具や建材でした。
中村彝はアトリエを気に入っていたらしく、内装や家具もモチーフになったとパンフレットに書いてありました。

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画家が絵を描く際に使ったであろうテーブルと絵の具も再現(?)。

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味のある床。

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引き出し。

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水差し。

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「少女」
アトリエの他に管理棟(展示室)があって、両方に作品が展示されています。
これと次の赤っぽく写っているのは管理棟に展示されている作品。

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展示されている作品はすべて4Kカメラで撮られた写真だということです。
マチエールこそありませんが、精細なカメラで撮られただけあって、存在感を感じられます。

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これは中村の作ではなく同時期一緒に活動していたという鶴田吾朗の「盲目のエロシェンコ」。
傍に中村の「エロシェンコ氏の像」もありました。
ここから以降はアトリエに展示されている作品。

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当時の界隈を描いた作品。

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自画像。

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静物画(カルピス)。


 中村彝は茨城出身。茨城県近代美術館には、落合にできるより前にアトリエが復元され、そちらには実際の家具やそしていくつかの作品(実物)があるようです。中村彝が文展(今の日展?)に入選するようになった頃、新宿の中村屋裏にあったアトリエに住むように。一番最初に揚げた「少女」はその中村屋の長女をモデルにしたそうです。次第に、その長女に恋心を抱くようになりますが、病弱(結核)の中村との交際を反対した中村屋創業者の相馬(※1)夫妻の反対で実ることはありませんでした。
 そんな相馬家との確執が生じたため、中村彝は中村屋のアトリエを出て、最終的に落合に住み着いたそうです。長女はその後、中村屋の印度式カリー開発のアドバイスをしたインド人(インドの独立運動家)と結婚。失意の底で中村彝はアトリエを離れ平磯海岸で療養をするも病気が良くなることはなかったそうです。病弱だった中村彝は好んだ落合のアトリエで制作活動に没頭したとか。そして、三十七歳で死去。
※1 中村屋の創業者の苗字は「相馬」です。パン屋の中村屋とも中村彝とも縁故はなし。創業の相馬夫妻が、もともと東大前にあったパン屋を買い取り、中村屋という屋号をそのまま使って今に至るらしいです。


 中村彝アトリエ記念館を訪ねたのをきっかけにエピソードを調べると、中村彝を取り巻く人や状況がわかって興味深いです。中村屋の話やら当時の状況やら社会情勢やら。機会があれば、訪ねてみてください。最寄駅はJR山手線の目白駅。佐伯祐三のアトリエ跡もここから徒歩圏内です。もっと歩けば林芙美子記念館にも寄れます。中村彝と佐伯祐三のアトリエ記念館は無料、林芙美子記念館は大人150円。


中村彝アトリエ記念館
新宿中村屋創業者にゆかりの人
茨城県近代美術館の中村彝アトリエ

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